東京都世田谷区に位置する天台宗 薬瀧山修善院観音寺は天台の沙門実海僧正によって、当地に開山され開山以来480年ほどの歴史を持つお寺です。
また、薬瀧山修善院観音寺には古像で『秘仏』とされているご本尊十一面観世音菩薩は、檜材一木造り、彫眼漆箔のおよそ身の丈三尺(95センチ)の立像で、行基菩薩一刀三礼の作として昭和56年に世田谷区より「有形文化財」の指定を受けており毎年、1月1日と8月1日の年二回に御開帳されております。
境内には四季折々の植物や花々が植えられており季節ごとに自然を楽しむことが出来る緑豊かな寺院です。
お寺様の境内には、梅やサクラ、つつじ、牡丹など数々のお花が皆様の心を優しく包んでくれます。お参りに来るたびに、新しい発見があるかもしれませんね!
牡丹
コスモス
藤桜
人と人とのおつきあいを大切にしたとても温かみのあるお寺様です。
仏事、法事に関しても何でもお気軽にご相談でき、末代にわたりご安心頂けます。皆様のお墓を責任をもって管理して下さいます。
墓域内は段差のないバリアフリー設計になっており、お参りに大変便利です。
陽当り、水はけも抜群で、後々まで安心してお求め頂けます。
ご法事、ご会食にご利用頂けます。
「法華経」を最高の教えとする中国の天台大師によって 大成された宗派ですが、平安初期に伝教大師最澄(767~822年)によって日本にもたらされ、 その後、比叡山で開かれた宗派です。
766年(天平神護2年)、近江国(滋賀県)に生まれます。
最澄は幼名を広野といい、12歳の時、近江の国分寺(現在大津市石山)に入り15歳で得度受戒しました。その時に幼名広野から「最澄」に名前を改めました。
厳しい修行と勉学の後、比叡山にもどった最澄は、奈良で大きな勢力を誇っていた南都仏教に対抗し、比叡山にも国家公認の僧侶を養成する為に、大乗仏教としての戒が授けられる大乗戒壇院の建立を悲願としていました。
そこで804年(延暦23年)には中国にわたり法華経の真髄を学ぶとともに、併せて密教、座禅、念仏、戒律を道邃、行満等中国の名僧達からそれぞれ学び、
それを持ち帰り、そのすべてを総合する学業一致の仏教修行道場をつくることを目指しました。多くの経典や仏具を携えて帰国した最澄は、さらに厳しい研鑚を積み、法華経を中心とした日本の仏教確立を目指して「天台法華円宗」の設立を、時の桓武天皇に上奏し、806年(延暦25年)1月26日に設立許可がおり、ここに念願の「日本天台宗」が公認されました。大乗戒壇院の建立は、時の奈良仏教の猛反対にあい、なかなか許可を得られませんでした。このことに精魂を傾けた最澄は志半ばにして、822年(弘仁13年)6月4日に56歳で入滅されます。しかしながら、最澄が亡くなってその1週間後に、心血を注いで願った「大乗戒壇院」建立を許可する知らせが霊前に届けられました。
ここに公認の「天台法華円宗」が開宗されました。おおよそ1200年前のことになります。
比叡山延暦寺(滋賀県大津市)が天台宗の総本山です。
焼香がまわってきたら、遺族、導師に一礼して仏前につきます。
基本的にはお焼香は3回、線香は3本立てます。(仏・法・僧の三宝に供養するという 意味から3回といわれています。)