お寺の由来|国平寺室内墓苑特集|メモリアルアートの大野屋


お寺の由来

国平寺は、柳宗黙大禅師が1965年に「祖国の平和統一を願う」思いから、祖国の「国」と平和の「平」の字を取って、「国平寺」と名付けました。

■国平寺縁起
本山は約300年前に建立されたお寺です。
徳川幕府八代将軍の徳川吉宗公(1684~1751年)により建立されたという由来があり、お寺の屋根には徳川家三葉葵の紋様の瓦が今でも残っております。
元々このお寺は、隠居された僧侶が余生を送るため修養した寺院でした。
そして約80年前に朝鮮から日本に渡来した高僧・柳宗黙大禅師は仏縁によりこの小平の地に立ち寄りました。
荒れ果てた堂塔を目にした柳宗黙大禅師は嘆かれ、此処に、日本から故郷に帰る事が叶わなかった朝鮮人の遺骨を集めて供養したいとの思いでこの寺を引き受けられました。
柳宗黙大禅師はその後、日本各地を歩き収骨され、その御霊を慰める為の供養塔も建立されました。
そして今、現代的な墓苑も備え供養を続けています。

徳川家三葉葵の紋様の瓦 イメージ
仏国寺大雄殿前の多宝塔(模型)




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